上から言葉問題2

前回、上から言葉問題について触れました。これは立場が上の人は(下の人と違って)ぞんざいな言葉を使ってもよいという日本社会のいびつな慣習です。

科学界だけでなく、日本社会のありとあらゆる場面で、この慣習がまかり通っており、上下の立場関係なく行われるべき活発な意見の交換を阻害します。これが若い人の成長を阻害し、日本の科学界および経済界の停滞の一因となっている(もちろん他にもたくさん理由がありますが)と私は思います。

この言葉遣いの問題は、長年の日本の歴史の中で築かれた慣習で、改革は容易にはいきません。上下の身分がほぼ固定している江戸時代と、儒教・朱子学の影響が大きいかもしれません。殿様はどんなにぼんくらでも殿様です。武士階級の中にも10階級以上もあり、言葉使いも上下で違ったはずです。

21世紀になった今でも、中学校に入った途端に、何故か先輩に敬語を使い、一年しか違わない後輩はヘコヘコしないといけないと言う慣習を押し付けられる。一年上だと横柄でもよい。そして、以前から言っているように、この学年や入社年次などの縛りが、いい歳のおじさん、おばさんになってまでも続いていくのです。何かおかしいと思いませんか?

どうすればいいのでしょうか。

これに対する私の案は、公の場では、丁寧語のみを使うという決まりにすることです。丁寧語は相手に敬意を払うというサインです。非丁寧語を使うということは相手を軽くみている、見下していることにほかなりません。それが許されるような社会ではいけません。しかしながら現在日本は目下を見くだしてもいい社会なのです。

皆が皆に敬意を払うのが当たりまえでしょう。部下に敬意を欠く人、非丁寧語を使う人は、はっきりいってパワーハラスメント罪、敬意欠如罪として、訓戒、減給、降格、免職処分が妥当になるような社会がいいのではないでしょうか。

家族、親しい関係にある人や友達同士はくだけた言葉遣いでいいのです。あくまで「公の場では」ということです。

本来、かつて福沢諭吉の書いたように「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」だと考えます。すべての人に敬意を払うのがあたりまえで、部下であるから、見下してもいいという理由にはなりません。

このようなルールを作ることが現実的でないと思う人もいるでしょう。特に、見下し言葉を空気のように吐いている、年配者を変えていくのは難しいかもしれません。社会を変えていくのは若い世代、あるいは聡明な年配者しかいないのです。今これを読んでいる若い人や、日本を良くしたいと思っているあなたは、明日から自分の態度を改めてみてはどうでしょう?

この問題ではおそらくすべての人が、被害者であり、加害者でもあると思います。あなたも思いあたることがあるでしょう。

学問や科学の発展には、本来的に上下関係はあるべきではないのです。言葉による上下関係の強要は、日本社会が改めるべき、重要な問題です。

次回につづく

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