上から言葉問題1
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日本の学会や会合に参加するとあちこちで耳にする上から言葉。どうも私には腑に落ません。個人的には聞いていて正直あまり気持ちのいいものではないです。人によっては初めて会った、接点がほとんどないほぼ知らない人なのに年上だから、同じ学校の先輩だからという理由だけで、上から目線の非丁寧語で話しかけていることもあります。
この違和感の根源はなぜだろうかと私は長年考えてきました。
なぜ日本では立場が上の人はぞんざいな非丁寧語を使っていいのでしょうか。逆に、立場が下の人は上の人には100%丁寧語を使わないといけません。ぞんざいな言葉遣いは自立した大人、いや、人間である相手への敬意に欠けると私は感じるのです。もちろん、中には、初対面の親しくない相手との会話や公式な場面では必ず丁寧語を使うようにしている良識のある大人もいますが。
私の感じている違和感の根源は、日本における、この言葉遣いによる上下関係の明確な強制であることに気がついたのです。なぜなら、こうした言葉による上下関係は米国にはないからです。
英語には丁寧な言い回しはあっても、上司にも基本的には対等な言葉遣いをしますし、仕事上でも親しくなった場合はお互いファーストネームで呼び合うことになります。もちろん組織内の立場の上下はあり、最終決定権は上の立場にあるのはどこでも同じですが、その過程で上司に自分の意見を述べたり、自由に発言できる空気があり、その背後には人間皆平等という精神があります。(因みに同じことが日本国憲法にも書いてありますが実際にはどうでしょうか)
この言葉遣いによる上下関係の強制こそが、若い人が自由に延びていくのを阻害している大きな要因で、日本が低迷している理由の一つだと最近気づきました。
日本では誰も疑問に思っていないし、私の知る限り誰も議論していないこの言葉遣い問題は(もしほかに誰かいたら教えてください)、米国に30年もいる私でないと気づかなかったのかもしれません。
この上下言葉問題の根深さは、東京医科歯科大学の学術顧問だった昨年、東工大との合併前にあった田中学長との面会で、彼の質問(どうしたら若手・重鎮関係なく、皆が活発に科学の議論できるようになりますか?)にどう返答するかを考えているときに思い至ったことでもあります。
以前にもブログで触れたことがありますが、私の研究室に留学してくださる、仕事ぶりは申し分のない日本の優秀な若者が、一部の例外を除いて、会議になると自分の意見を言わず、ただ黙っているのです。アメリカ人なども入った大きな会議だけでなく、内輪のラボミーティングなどでもです。英語の実力の問題もありますが、それ以前に、自分の意見を言わない習性が身に染み付いているのが原因です。日本での厳しい上下関係のある組織で過ごしていると、下手に自分の意見を言って悪目立ちして上から目をつけられると、出世に不利になってしまうので、できるだけ自分の意見を言わずに、黙って上司の言うことを聞くというのが無難だからです。
自分の意見を言えないことは、こちらで生き残るには損どころか、はっきり言えばほとんど無理なのです。意見を言わないのはその場にいないのと一緒です。日本人の勤勉さや優秀さが生かされないのは悔しい限りです。もっと言えば、日本人の優秀な若者は文句を言わない使いやすい駒と化してしまっています。これで良いのでしょうか?アメリカ人その他の人たちを見ていると、大物を前にしても、間違っていても自信を持って自分の意見を言える人が多いです。
日本では言葉によって上下関係を強制されて、(特に医学部に顕著ですが)江戸時代のような封建制度と上下関係の雰囲気が脈々と受け継がれているせいで、若者が萎縮してしまい、自由闊達な意見交換を阻害し、若者の斬新な考えが社会に生かされない。そして現在の停滞を招いてしまっているというのが私の見立てです。
次回は、上から言葉問題を改善するにはどうするかを書きます。
次回に続く