東京医科歯科大学での学術顧問としての講演内容(失敗を逆転させて成功に変える1)

前回の投稿からしばらく間が空いてしまいましたが、今年の初めに学術顧問として東京医科歯科大学で行った講演の続きを投稿します。

前回は日本社会の悪い慣習について述べました。今の日本人一般には、自分自身が自分の人生の主体者になるという考え方が足りていないと思います。社会一般が他の人がそうだから、無難だからみんなと同じことをするというのではなく、我々一人一人に別々の道があると考えればどうでしょう。

そういう意味で、周りに合わせることがどちらかというと苦手(というか嫌い)な自分自身には、アメリカでのキャリアが合いました。失敗して、また挑戦、前進することの繰り返しでここまで来ることができました。大事なのはしぶといこと、自分ができることについては諦めが悪いことだと思います。過去や他人など自分がコントロールできないことは諦め、自分ができることに集中するのです。私のキャリアは全く順風満帆ではありません。詳細はまだ途中ですが、日本からアメリカへという記事に書いてあるので御覧ください。ここでは失敗を成功に変えた例に絞って、私のキャリアの転換点をお話しようと思います。

繰り返しになりますが、ピンチはチャンス、転んでもただでは起きないという考え方を貫くことが最も大切です。

私のピンチは学生時代に始まりました。私の中高時代は自由な校風が肌に合い、一匹狼の私の性格も尊重されている感じでそこそこ楽しい時間を過ごすことができたのですが、大学に入ってからは周りとつるむのが苦手で孤高の人として通しました。更に大学院に入ってからは病理学教室の雰囲気が肌に合わないと察知して早い時期に脱出を決意して、早々に日本社会の王道レールを外れてしまうことになりました。昔の武家社会で言うところの脱藩です。

そこで目指したのがアメリカでの医学の道です。在日米海軍病院でのインターンを目指し、面接を受けた在横須賀米海軍病院は落ちて失敗に終わり、なんとか在沖縄米海軍病院のインターンとなりました。インターン終了後にアメリカで研修医となるために、上司から推薦状をもらって米国の研修先の病院とマッチングを行ったのですが、候補のとある病院でその推薦状が最悪の内容であることを教えてもらいました。後年推薦状を書く立場になるとわかったのですが、普通は良い内容しか書かないものです。

そんな推薦状を持った候補者が上位の病院にマッチするはずもなく、下位の病院に採用されることとなりました。しかし、運命的にもその病院で本当に奇跡的な出会いがありました。先日ご逝去された、私の米国キャリアで初めてかつ最大のメンターである、福島孝徳先生が脳外科教授として在籍しておられたのです(こちらの記事)。前にも言いましたが何かの導きとしか言えない出会いでした。ピンチはチャンスの一例です。

最初の研修病院はいわば市中病院で、アカデミックな研究をしたかった私は、4年の研修終了を待たずに2年で別の病院に移動し、更に2年後からペンシルバニア大学で分子病理学研修とポスドク研究を行いました。その後ペンシルベニア大学からの教員の仕事のオファーがないかと待っていたのですが、残念ながら何の誘いもありませんでした。今から考えると当時の自分の力不足は明らかで、その時は必死に次の仕事探しの方針をたてねばなりませんでした。またしてもピンチの到来です。

そこで全米のあらゆる施設に履歴書を送りまくり、ついにハーバード大学からオファーをもらうことができました。ハーバード大学には実に三度目の挑戦でした。ペンシルベニア大学で身につけた分子病理学の専門知識が評価されてのことです。

実は私が得たハーバードでの仕事は、大規模前向きコホート内に発生した大腸癌の患者からの腫瘍組織検体を全米各地からひたすら集めてバイオバンクを作るという、内部の候補者が誰もやりたがらない一見地味な仕事でした。私はこのバイオバンクのデータから画期的な研究成果が出るかどうか、キャリアをかけることになりました。結果的に、2007年の論文を皮切りに、歴史的な発見を次々と可能にすることができました。我々の発見への注目度が高いにもかかわらず、我々の多くの発見については、現在に至るまで17年間も、同じ前向きコホート研究デザインを使って誰も追試ができていないのです。つまり人間の癌発生についての科学仮説があるとして、その仮説を人間集団で検証した研究を探すと、われわれの研究結果のみ見つかるという状況なわけです。

最近になって改めて、なぜこうした歴史的な発見ができたかを考えました。そうすると、実はこのバイオバンク自体が大発明だったと気づきました。そこで我々の発明したバイオバンクをProspective Cohort Incident Tumor Biobank(PCITB)、日本語では「前向きコホート内発生腫瘍の組織バイオバンク」、と固有名詞として命名しました。

PCITBは旧来のバイオバンクとはまるで異なり、何十年間もフォロー中に長期生活曝露データと癌発生データを蓄積した前向きコホートそのものを包含する新しいバイオバンクの概念です。私はこのPCITBを使って分子病理疫学(MPE)という新分野を発展させることができました。このPCITBについては、私の現ラボサイトトップページにもイラストつきで載せています。

始めは誰もやりたがらない仕事を単独で試行錯誤しながら、PCITB(前向きコホート内発生腫瘍の組織バイオバンク)と新分野であるMPE(分子病理疫学)を作ったという、いわばマイナスをプラスに変えた経験は、後々考えると、実は思った以上にとてもラッキーなことだったのです。

私にはメンターはいましたが、師匠という存在はいなかったので、若手が独立する際のネックとなりやすい、師匠と違う研究をしなければならないという師匠問題がありませんでした。その結果、研究成果が出始めてからの昇進も早期に可能にできたのです。

次回に続く

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