日本からアメリカへ5
前回の記事で述べた通り、私はピッツバーグのアリゲニー総合病院で病理科学研修の1年目を終えたくらいから次第に自分の環境に物足りなさを覚えはじめ、 3年目からの研修施設の移籍を考えるようになり、研修医の中途募集をしている病院を探し始めました。
通常、アメリカでの病理科学研修はマッチングシステムによって研修先が決定され、その後4年間を同じ施設で過ごすことになります。しかし、様々な事情で研修医のポジションに空きが生じることがあり、途中で研修先を変えることもできなくはありません。私は、全米の50くらいの施設に募集が出ているかどうかに関わりなく問い合わせをかけました。どうしても自分の希望するようなアカデミックな環境で研修をしたかったからです。
その結果、クリーブランドのケースウエスタンリザーブ大学とプロヴィデンスのブラウン大学から面接に招かれ、両方から研修職のオファーを得ることができました。ブラウン大学はアイヴィーリーグ(米国東部の名門大)の中の1校ですし、両者ともそれなりの名声のある大学で、同じようなレベルの素晴らしい研修プログラムを受けることができたので、迷ってもおかしくない状況でした。
最終的に何が決め手になったかというと面接日の印象でした。クリーブランドではカラッとした明るい快晴、プロヴィデンスではどんよりとした暗い曇り空でした。私は全く迷うことなく、直感でブラウン大学に断りを入れ、ケースウエスタンリザーブ大学を選びました。そんなたまたまの天気の印象で決めてしまっていいのかと今更ながら思いますが、現にそれから私の運が更に好転するきっかけになりました。もちろん、もしブラウン大学を選んでいたら私がその後どうなっていたかは知る由もありません。
振り返って考えると、ここで移籍できたことが、キャリアの第二の転換点でした。とりあえず、聞いてみて損はないと思い募集していなくても手当り次第に問い合わせをしたことが功を奏しました。私は自分で言うのもなんですが、あまり典型的な日本人らしくない面があり、恥ずかしいとか断られたらどうしようなどあまり考えず、当たって砕けることができる性格です。いったん目標を設定したら、そこにめがけてとりあえずやるべき手は全部出し切る。そうして自分なりに当たり前のことをやってきた結果が今なのですが、要所要所でそうした粘り強さを発揮できるかがキャリア形成においてはとても重要な気がします。
(次回へ続く)