食育と健康2
問題は、アメリカの食事が美味しくないのはまだしも、多くが不健康であることなのです。例えば、一般的なスーパーでケーキを買ったとします。普通の日本人には甘すぎて砂糖の塊を食べているような気持ちになってしまうでしょう。清涼飲料水などに含まれる砂糖の量も多すぎます。更にタチが悪いのは、豆乳やヨーグルトや冷凍のイチゴなど、砂糖入りとは普通考えないような食品にまで当然のごとく砂糖が添加されているのです。わざわざ砂糖なしと書いてあるのを探さねばなりません。買うときによくパッケージをみないと騙されてしまいます。
余談ですが面白い話があります。ある時、学会に出かけて抹茶が飲みたくなりました。私は健康のためと楽しみで毎日抹茶を飲んでいるのです。最近はアメリカでも健康志向が高まり抹茶が人気となって普通のスーパーでも買えるようになっています。スターバックスに寄ると抹茶ラテがあったので、わざわざ「砂糖なしでつくって下さい」と言って作ってもらって飲みました。すると、めちゃくちゃに甘い!!店員に砂糖を入れた?と聞くとなんと!元の抹茶パウダーの中にすでに砂糖が入っていると言うのです!!!あきれて同行者と話していると、ヨーロッパの人が話しかけていました。「あなたたち日本人?わかる。私も抹茶ラテが好きでよく飲んでいたんだけど、前は砂糖は入ってなかったのよ!本当にアメリカ人はなんでも砂糖を入れる!」これが、この国のスタンダードなのです。救いは、近年の健康志向の高まりを受けて、砂糖入りの清涼飲料水などが前ほどは売れなくなっているらしい、ということでしょうか。
砂糖、油、合成着色料の過剰添加はこの国の食品産業の大きな問題です。ある種の利権が絡んでいるのでしょう。ファーストフード然り、全てアメリカ発祥の文化です。私はできる限り避けるようにしています。この国の食生活の問題は、幼い頃から毎日のように習慣的にそうした不健康な食品を多量に採り続けるのが当たり前の人々が多いと言うことでしょう。そうした人が自分の子供にも同じ習慣を植え付けます。来月は10月ですが、ハロウィーンともなると他人の子供にまで砂糖、合成着色料たっぷりのお菓子を食わせます。そんなお菓子のない時代のハロウィーンに回帰すべきなのですが、いかんせん現在は人々の健康を犠牲してでも売り上げ重視の食品産業の思う壺になってしまってます。
その結果、肥満や肥満に起因する様々な基礎疾患を持っている人の割合が高すぎる結果となっているのです。ボストンやニューヨークなどの北東部ではさすがに極端な肥満の人を見かける頻度はほかの場所に比べると低めですが、それでも平均的な日本人と比べてBMIなどは高いと思われます。その他の地域に行くと、驚くような大きな体型をした人たちがたくさん歩いている光景も珍しいものではありません。そういうアメリカ人たちに、繊細な味付けをした健康的な食事を勧めたところで、砂糖や油などが盛りだくさんの体に悪い食品を美味しいという感覚が育まれてしまっているので、一般受けがよくありません。
私の所属するハーバード大学公衆衛生学大学院でも、このことは大きな問題として取り上げられており、食育の重要性があげられていますが、私から言わせるとまだまだ甘い。アメリカでいう健康な食事とは、ドレッシングをかけたサラダでしょうか。以前会議で失礼にならない程度に、アメリカでは幼少時からの食事が貧弱・不健康なために、それが成人病・慢性病につながっているという問題を提起してみたことがあるのですが、本当の意味でアメリカ人の参加者が私の発言の意味を理解できたとは思いません。
幼少時から多彩な味を区別できるようにすることで、健康な食品は美味しい、不健康な食品は不味いとわかるようにな舌を育てるのが第一歩です。そうすると不健康な食品を自ずと避けることができ、不健康食品が売れない、不健康食品を作らせない社会にできると考えます。結果的に人々の人生を文化的にも健康的にも豊かにすることにつながると思います。
それでは、日本人の舌が肥えているのは何故か。それは、幼少時から家庭料理が多彩で豪華であることが一般的であるからでしょう。自然と家庭で食育がなされていると考えても良いと思います。つまり、家庭のお母さんたちに過剰な負担がかかっているということです。豪華って?うちの食事は普通ですよ、と思う方もいるかもしれません。そんなことはありません。アメリカの小学生のお弁当をご存知でしょうか?ピーナッツバターとジャムと白パンのサンドイッチが典型的でしょう。パンに塗って挟むだけで完了します。夕食も簡素な食事で済ませることが多いと思います。例えばピザなど。だから、共働きが成り立ち易いのです。日本では、普通共働きでもそれなりの水準の料理を求められるため、大抵は女性が大変な思いをすることになってしまいます。家事の負担が大きいことは女性の社会進出を阻んでいる一因でしょう。かといって、食育という観点から、日本の多彩で健康的な家庭料理がなくなってしまうのも悲しく思います。もっと、時間や会社組織に縛られない働き方が一般的になれば変わってくるかもしれません。かくゆう私も、このアメリカの美味しいもの砂漠においては美味しい日本式家庭料理なくしては生きていけません。