スポーツと健康と仕事1
以前からこのブログでも取り上げていますが、私は毎日規則正しい生活と運動をすることを心がけています。私は広い意味ではライフスタイルと健康に関する研究をしているので、毎日の食生活や運動習慣が健康に与える影響の大きさをよく知っているために、当然そうなってしまうのです。
さて、私はコロナ禍においても、毎日1時間のウォーキングかサイクリング、10-15分程度の筋トレ、主として週末にするテニスなど、毎日必ず体を動かすことにしています。また、最近は卓球台を購入して雨の日の運動の選択肢を増やす努力をしています。中でも私の一番の楽しみとストレス発散方法はテニスなのですが、私の家の周りには至るところにテニスコートがあり、学校のコートなどの多くは無料かつ予約なしに使うことができます。テニス命の私にとって、とてもありがたい環境です。コロナ禍の運動不足でテニスを始める人が増えて、いつもよりコートが確保しにくくなったときは少し困りましたが。日本でテニスをしようと思ったらこうはいきません。テニスコートは大体が予約制かつ有料で関係者しか利用できないことが多いからです。
テニスの場合は競技人口や土地の関係で環境が整わないのはしょうがないですが、そもそも日本ではスポーツは主として学校のクラブ活動でやるもので、大人になってからもやめずに趣味として続ける人が比較的少なく感じられるのはなぜかと思います。日本では定期的に一定以上の運動をしている人口の割合は世代別にどうなっていますか。運動は健康のために、何歳になっても、できれば続けたほうが良いですし、ストレス発散や仕事の能率向上にも寄与すると思われます。日本人の運動習慣や環境を改善するためには、私は学生時代の日本のクラブ活動のあり方から改善すべきだと私は思っています。
まず、クラブ活動でスポーツをする場合、大抵の場合、一種目のクラブにしか入れず、多くのスポーツを経験することができません。プロになれるような一握りの人たちは時間などの都合で一つに専念したほうが良いのかもしれませんが、大多数の人はプロスポーツ選手にはなりません。多くの普通の子どもたちが経験するスポーツを一つに限定しないといけない理由はないと思います。それよりも、学生時代にもっと多くのスポーツに親しむことができれば、大人になってからも楽しむ選択肢が増えて良いのではないでしょうか。スポーツのために勉強や私生活よりも競技中心の寮生活をするといった経験を完全に否定するわけではありませんが、一部の実力が突出した人を除けば、人生の可能性を狭めてしまうこともあるのではないかと考えます。
それから、人格を否定するような厳しすぎる指導、行き過ぎた体育会的な上下関係もなんのために存在するのか私は理解できません。もちろん、東アジア的な目上の人を立てる文化が不要と言っているのではなく、監督や先輩が言うことには何でも盲目的に従わなければならないといった、おかしな不文律が存在することに疑問を抱くのです。また、下級生の球拾い、掃除、グラウンド整備、その他雑用のような習慣も私は不要だと思います。なぜ学年が上がらなければプレーができないのか分かりません。皆が楽しく練習できないのはおかしいと思います。そもそも日本は学年の違いを意識し過ぎなきらいがあります。アメリカではそのような習慣がまったくないせいか、プロスポーツ界や他の分野でも、おじさんになっても学年が1つ上だとか下だとかを意識しているのがもはや滑稽にすら感じられます。
私のような一匹狼タイプには、こういった意味不明な集団行動のルールが嫌で中学高校ではクラブ活動から足が遠のいてしまいました。ちなみに私は中1と大学では卓球部で、大学1年のときにほかに軟式テニス部とバドミントン部にもちょこっと顔を出して基礎をかじりました。テニスはボストンにきてから34歳からはじめました。要するに少人数でやる球技が私の好みのようです。ちなみにバックハンドは私の大弱点だったのですが、5年前に軟式テニスで習った片手バックのストロークを使いだしてすごくハマりました。フォアハンドとバックハンドともに同じグリップで同じラケット面でストロークを打ちます。同じような打ち方をしている人を見ませんが、これは違う種目での経験が思わぬ解決策へのヒントを与えてくれることもあるという例ではないでしょうか。
では次回は、日本人の運動習慣や環境を改善するための具体的な方策を考えてみます。
(次回に続く)