科学と政治の健全な関係とは

先日からニュースを見ていて、気になったことがあるので書いてみたいと思います。それは、新型コロナウイルスの流行抑制のための科学的エビデンスと政治の関係です。

今回のパンデミックでは、科学的エビデンスに基づく政治判断の重要性が一般の人たちにもより身近に実感されているように感じます。なぜなら、ウイルスの流行予測には私も専門とする医学や疫学の知識が必須であり、専門家の知識と意見なしでは流行の先行きの見通しが立たず、さまざまな政治判断を下すことができない状況が続いているからです。実際に世界各国では科学的な分析結果を元に科学者が政府に対してアドバイスをし、それに基づいて経済活動に対する規制などの政策決定が行われています。

私の住んでいるアメリカはその典型例と言っていいでしょう。CDCなどの機関がデータを分析して、各州において都市封鎖などが行われています。しかし、科学に基づいた合理的な対策が行われたにも関わらず、科学は万能ではなかったことも今回の教訓として刻まれています。世界一の科学技術力を持ちながらも、感染爆発によって世界最大級の感染国となってしまった要因は、今後の分析が待たれるものの、経済格差や医療へのアクセス、肥満などの健康問題や人種問題などのアメリカに従前から存在する根深い社会問題に起因するとみられ、パンデミック以前から問題となっていたアメリカの負の側面がさらに顕在化して凝縮された結果になってしまいました。科学以前の基本的な問題が深刻すぎたために、感染がコントロールできなかった(とみられる)のは皮肉な話です。一方で、科学技術力を最大限に生かしたワクチンの開発や接種、経済活動の再開など速さが目を見張るものであったことは明らかであり、こちらはアメリカの良い面、すなわち、科学者や専門家の意見が合理的に政治に取り入れられてスピーディーに物事を解決する力が現れていたように思います。アメリカは、大勢に影響のない細部のことは置いておいて、やるべきことを最も合理的な手段で実現するということがとても得意な国だと思います。

日本では、リスクより安全が重視される国民性もあって、アメリカのようなワクチン開発、承認及び接種のスピード化は実現できなかったでしょうし、安全性を重視するという姿勢自体は、悪いものではありません。万が一なんらかの健康被害が生じてしまった時のことを考えると、慎重に国民を守ることもまた、大切であると思います。しかし、私は、今回の新型コロナウイルスに対する対応だけでなく常日頃から、日本の政治と科学の関係については、少し疑問を感じてきました。テレビなどから得られる情報を見る限り、そもそもどの程度、科学的な証拠が政策に取り入れられているかがわからないからです。

例えば、今回の新型コロナウイルスに対応するための緊急事態宣言です。緊急事態宣言の発令や解除に対して、具体的な基準というものがあまり示されておらず、何を根拠に発令や解除を行なっているのかがよくわかりません。会見などをみていても、諸事情を考慮してという言葉でお茶を濁されている場面が印象に残っています。この原因として推測できることは、そもそも科学的エビデンスは参考程度に聞いているのみで、その他の事情を優先しているので説明ができないためでしょう。あるいは、科学的エビデンスに対する政治家や官僚の理解が足りないためにしっかり理解して説明や広報ができないということが考えられます。もちろん、科学的なエビデンスを元に、諸事情を勘案して最終的な判断を下すのは政治であるので、科学者の意見と異なった判断を下すべきときもあるでしょう。また、表に出せない色々な事柄があるので説明がしにくいことも重々理解できます。ただ、私が思うに、日本という国は科学的な証拠よりも、人間関係や経済的な利害関係などのその他の事情の方を重視しがちなために、合理的な判断が出されにくい気がしてなりません。私が知っている昔の医局の世界などが典型的です。そもそも、科学を軽視すると感染症の流行は抑えることができませんし、近年の情報化社会の中で、色々なエビデンスというものをインターネットを通じて一般の人が入手して理解することができる状況の中で、政府の動きが不可解に感じられてますます一般の人の政治や行政への不信が高まる結果となっている気がします。ただでさえ、皆が納得することは不可能な行動制限や営業制限等に協力を求めるのですから、せめて、説明できる範囲でオープンな判断基準等を示せば不満も少しは抑えられる気がします。

私は、今回のオリンピックの開催に関しても、もっと説明が必要だと思います。日本で感染が拡大した局面でも、諸外国のピーク時の人口に対する感染者等に比べれば少ない方なのかもしれません。しかし、日本では重症者を受け入れるための病床数が少なく、この少ない重症者等で病床が逼迫していることは事実ですし、現状の変異株の流行等を考えれば、行動制限が完全に効くとは思い難い多くの選手団及び報道関係者を受け入れること自体、危険なことだと個人的には考えています。新たな変異株の流入や発生の可能性もゼロではありません。もし新たな変異株がより重症化率を高めるものである場合に備える必要もあるでしょう。この考えがどの程度正しいかは、専門家によるシュミレーション結果と実際のオペレーションを照らし合わせて流行状況を科学的に予想しなければなりません。オリンピックを開催するのであれば、あらゆる場合を想定した上で、それに対する対策がどうなされているか、また、もし流行が起こってしまった場合にどう対策するか等をしっかり合理的に説明をして国民の納得感を得ることが最低条件ではないでしょうか。私は報道等でこのような説明を聞いたことはありません。もしかしたらどこかで説明されているのにマスコミが報道しない自由を発揮して、オリンピックに反対する世論を作り出している可能性もありますが。ただ、万が一さまざまな政治的な理由で感染状況いかんによらずオリンピックの開催を強行するのであれば、国民の命と経済活動を犠牲にしてまで開催する理由を説明するのが政治家の仕事ではないかと思います。今回だけでなく、政治と科学の関係でいつもモヤモヤしてしまうのは、科学が軽視されていて、わかりやすい説明に欠けていると感じることです。

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