コロナ後の社会変革への希望4(日本について②)

例えばPCR検査についてです。PCR検査の精度に関して言えば、感度も特異度も100%ではありません。ですから、PCR検査の実施と活用法についてはしっかりと戦略を立てて行う必要があると私は思います。

発症からしばらくしたコロナ患者は時間が経つほどPCR検査の感度が低下し、偽陰性が増えます。一般的な検体の採取場所である咽頭や鼻のウイルス量は発症するかしないかの時点で最大になるようです。このことから、疑わしい症状が出た初期に迅速にPCR検査を行った方が良いということが示唆されます。

日本の検査体制はどうでしょうか。熱が出てから保健所に連絡しても長い間なかなか検査をしてもらえなかったという話が聞こえてきます。これが事実とすれば、PCR検査しても偽陰性の人を増やしかねません。

希望する人全員にPCR検査をする必要はないですが、医師が必要と判断した症例さえも迅速に検査できない(かった?)のはいささか問題があると思います。

PCR検査については、2月のダイヤモンドプリンセスの対応時から問題視されていました。そこから何カ月も準備期間があったわけです。その間、どれだけ先読みした対策がなされていたのでしょうか?

また、抗体検査についても、検査の正確性を確保することもとても重要ですが、集団免疫の調査のために必要になることは初期段階で予測はつくのですから、早い段階から準備に着手して調査できる体制を整えていくべきだったと思います。

その他、入国制限や経済対策にしてもどれも世論の不満が高まってから腰を上げる感じで、かなり遅い印象があります。

念のために、私は日本の対策全てが悪いと言っているわけではありません。よく、外国から日本を全て否定している方を見かけますが、日本の対策が穴だらけだったら、もっと悲惨な結果になっていたでしょう。

例えば初期のころのクラスター潰しの手法は専門家の先生が対策を立てられて効果を示していたように思います。ただ、より多くの専門家の公平で科学的な意見が政府に届いて、合理的でスピード感のある政治判断がなされていたかというと、それもまた違うと思います。

日本によくありがちなのですが、誰の責任でもなくなあなあで物事が進み、結果オーライで上手くいったけど何故かわからない…というのでは、これからの第2波あるいは新しいパンデミックのケースに今回の経験が教訓として生かされません。

新型コロナウイルスがもっとたちの悪い性質を示していたらどうでしょうか。アメリカのように少しの対策の遅れが致命傷になっていた可能性もあります。

ウイルスの変異は早いので、今後の第2波でウイルスが突然強毒化して大惨事が起こってしまうかもしれません。感染症に限らず、災害などの事態に対しても、最悪の事態を想定して先を読んだ準備と対策を取っていくべきと思います。対策しすぎて何もなかった時に文句を言う人もいるでしょうが、予防とはそういうものです。

例えば、果たして日本、特に東京圏では、大型地震に対してどれだけ被害を最小化する準備ができているのでしょうか。早いうちに経済、政治、教育の中心地を日本の中でもっと分散すべきではないでしょうか?もしかしたら明日、首都直下地震があるかもしれないのです。

新型コロナウイルスの第2波についても、今回の成功は幸運であったことを認識して、同じやり方で防ぐことができると安易に考えずに小康状態の今の期間を、今までの経験から学んだことを生かしてより綿密な対策を立てる準備期間にしてほしいなと思います。

次回に続く

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