コロナ後の社会変革への希望3(日本について①)
アメリカでも、ようやく新型コロナウイルスの統計が落ち着いてきました。マサチューセッツ州では、1日の死者数が50人を下回る日が続き、ようやく今週から経済活動再開の第2段階に入りました。しかし、ご存知の通り、アメリカでは比較的強力な経済封鎖を3月に始めてからここまで数ヶ月を要しています。
対して日本は、4月に要請ベースの緩やかな緊急事態宣言を発令して1カ月余りで落ち着きを取り戻しています。まだまだ予断を許さないことは念頭に置いておかなければなりませんが、アメリカの状況を肌で感じている私としては、驚きしかありません。
各国が何故日本の対策で上手く行くのか不思議がっている中、日本の大臣が国民の民度が高いからだと発言されたようです。この発言の是非はともかくとして、一つの要因として清潔で真面目な国民性があるのかもしれません。
しかし、それだけで欧米諸国とここまでの差が生まれるとは考えにくいと私は考えています。死者数等の少なさはアジア諸国全般に見られますし、人口あたりに換算すると、アジアの中では日本はそこまで少なくないという話です。欧米諸国との違いには、我々が感知し得ない別の要因が関わっていると考えたほうが良さそうです。
巷ではBCG説など諸説がが挙げられていますが、このような未知のウイルスの性質に関する事の真偽は全て、得られたデータに基づく科学的な分析と議論が行われて初めて明らかになるのであって、どんな専門家であっても手探りの状態です。現時点では本当のことはまだ分かっていないということを今一度認識してほしいと思います。
また、疫学的な現象と研究結果というのは、一つの要因だけでなく複数の要因が複雑に関係しているため、一つの要素だけで決まることはあまりありません。ですから、その時点で得られている知見をしっかりと利用しながらも、あらゆる可能性を考えながら、出来る限りの警戒をもって対策を行うべきであると考えます。
そのことを念頭に置いたうえで、現時点でのいわゆる日本モデルの成功は、日本政府の科学的でスピードのある政策によってもたらされたのでしょうか?
多くの人が感じているように、私は日本政府の対策は後手後手に回ってしまっていたという印象を受けています。ダイヤモンドプリンセス号の件で、他国に先駆けてウイルスに対する警戒を高めるチャンスがあったのにも関わらずです。
少し長くなってしまうので続きは次回にします。