FASの今井教授と面会

先日、ハーバード 大学 FAS (日本語では教養学部?) 政治学部門及び統計学部門で教授をされている今井耕介先生にお誘い頂いて、昼食を食べに行きました。今井先生は数年前にプリンストンからこちらに移られたとのことで、今まで面識がなかったのですが、ボストン日本人研究者交流会の関係で知り合い、初めてお会いして意見交換させていただき、とても楽しい時間を過ごすことができました。

今井先生と私の共通点として、大学院に入学するまでは日本で過ごして、入学後にアメリカに渡る決断をしたということがあります。

私の場合は前の記事に書いたように、大学院入学早々にここではやっていけないと感じ、日本の医局(病理学教室)からは半ば絶縁のような状況でアメリカに渡ってきたわけですが、今となっては早い段階で決断できたことが良かったと思い、当時の状況に感謝すらしています。

今井先生とはそんな共通点もあって、いくつかの話題で盛り上がりました。

まずは日本の大学の文系、理系という分類についての話になりました。今井先生は政治学をご専門とされいるので日本でいうと文系になりますが、現在は統計学を駆使した分析をされており、理系的な研究にも従事されています。

以前の記事で紹介した、公衆衛生学大学院の同僚の Robins 教授は今井先生と同じ部門にも同時に所属しており、今井先生も彼の凄さを語っておられました。このように、今や統計学というのは学問の垣根を越えて必要とされている分野であることは間違いないですし、他の分野同士でも、学際的な分野から次々と新しい学問分野が誕生し、様々な発見がなされています。

このような時代の流れの中で、大学進学時、あるいは進学前に文系理系という意味のない区別をしてしまって良いのでしょうか?経済学などはいい例で、アメリカには文理の区別はないですが、敢えて言うならむしろ理系的な学問だと考えられています。日本のように数学が苦手な人が文系を選びやすいシステムでは発展しようがありません。事実、日本にはノーベル経済学賞の受賞者はいません。

また、政府や中央官庁などにいわゆる文系の人が多く、統計学や科学を駆使した客観的な分析が政策に取り入れられていないことも気がかりです。

逆もしかりで、理系の学生にも歴史、文学、社会学、地理学、地政学などの知識があったほうが発想の幅が広がります。戦国時代マニアの私は大きな決断をするときに歴史を参考にしたりします。

いずれにしても、今の日本の問題は結局は縦割りの教育システムに起因して起こっているのです。ご存知のとおりアメリカの大学では学部時代は多くは文理に限らずいくつかの専門分野を学び、大学院になってから専門性を深めるという方式を取っています。

教育費の高騰など、アメリカにも大分問題はありますが、日本も学際研究が生まれやすい風土を発展させなければ益々国際的に立ち遅れてしまうでしょう。本質から外れた入試改革などと言っている場合でしょうか?むしろ、日本の学生のほうが大学入学時には基礎学力は高いと思います。また、日本の良いところは、公教育がしっかりしていて平均の層が厚いところです。逆にいうとアメリカはトップ層を更に伸ばして活かすことには秀でていますが、普段の生活で接するようないわゆる普通の労働者がしっかりしているのは日本の良いところでしょう。それより日本で問題なのは大学や社会のシステムのほうです。

もう一つの話題は、日本社会の閉鎖性についてです。これについては散々このブログでも語り、色々な人が話題にしているところなので、今更この記事で語ることでもない内容でしょうが、結局は何故日本は変わらないのだろうか?それが分からないという話になりました。今井先生は東大で客員教授もされており、日本の組織にも所属していらっしゃるのでアメリカとの違いを感じられることが多いそうです。私が約25年前に感じていた気持ちと大差ないように思います。

個々のレベルで話すと、皆感じている問題点は類似していて、そうであれば変えていこうという話になってもおかしくないのでしょうが、何故か何十年も同じ古臭いやり方を続けてしまいやすいのが日本社会です。みなと同じでなければならないという同調圧力が強すぎるのかもしれません。

ということで、いろんな話題について楽しくお話させていただき、時間がすぎるのが早かったです。またお会いして意見交換させていただければ嬉しいです。

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