科学業績の真価とは2
多くの疫学者は、自分で新しい方法論を開発することなく、他人が開発した方法を使って、単に新しいリスクファクターと病気の相関関係を発表し続けています。そういう大量の、疫学者であれば誰にでもできる疫学研究論文のせいで、一般には疫学は病気のメカニズムは あまり考慮に入れていないというイメージが形成され、「疫学は最先端の方法論を駆使して医科学・健康科学の最先端を走る分野」というイメージは残念ながら作れていません。したがって、結果的にノーベル賞とは縁遠い学問のように思われています。疫学者が将来的にノーベル賞を取るだろうというと一笑に伏されるに違いありません。
人の真似をするだけの研究の蔓延は、疫学に限らず、いろいろな学問分野において世界共通の大きな問題です。残念ながら、拙速な成果を求めるあまり、大学院やポスドク時代の修行中に、周りの人間やメンターから研究テーマを与えられ、主に先行研究の真似をして実験やデータ解析するように教えられてしまうので、似たような研究者が大量に育成されます。そうした多くの真似をする研究者が少ない研究職と研究費のパイを奪い合い、結果的に優れた研究者までが不毛な競争に巻き込まれて、科学の発展を阻害してしまうというのが現在の科学界の景色になりつつあります。これには、真に価値のある研究を評価することができないシステムの問題が絡み合っています。
私自身は他人がやらない研究に価値を置いており、何か世の中にないものを生み出そうと日々考えています。研究者である以上はそうあるべきだと考えています。
さて、科学業績の真価とは何なのでしょう。近年は論文のインパクトファクターや引用回数などの数値指標ばかりを用いて判断される傾向にあり、短期的な成果ばかりを求める研究費支給システムのせいで、ますます歪みが生じてきてしまっています。ちなみに、私は2015年から今年までHighly Cited Researcher(他人の論文に引用された回数が多い研究者)に選出していただいていますが、これは私の研究室から出た論文を、いろんな人が自分の論文で仮説の正当性の根拠として使って頂いている一つの目安だとは思います。しかし、この数値だけを持って私の研究が良い研究であると言い切ることはできないと思うのです。
先日、以前から存じ上げている京都大学医学部の武藤誠名誉教授がボストンに来られたので食事に出かけました。その際に科学業績の評価について話題に登ったのですが、ノーベル賞を受賞した研究ですら、当時の常識や実験データが不十分等の理由から、ネイチャーなどの一流研究雑誌からリジェクトされてしまっていることもあるとのことです。昨今では一流雑誌に掲載された研究の再現性がないことなども問題にされています。もちろん、一流雑誌に掲載された研究にはロケットを打ち上げたようなすごい成果のものもあります。しかし、良い研究とは時流(要は流行)に沿った、期待される成果を挙げる研究ばかりではないということなのです。
やはり、本当に良い研究というものはある程度の時間が経ったところで、「もしその研究がなければ、もしその研究者がいなければ、現在の世界がどう違っただろうか?」ということをもって判断されるべきだと思うのです。ノーベル賞はその好例で、選ばれた研究に関しては誰もが世界を大きく変えたと納得できるものばかりだと思います。そして、それは前述のような短期的成果を計る指標だけを持っては評価できないものであると考えます。近年の科学研究の大きな問題は、大きなビジョンで科学研究と独創的な研究者を育てる余裕と、研究を正しく評価できるシステムがどの国でもなくなりつつあることでしょう。ではどうすれば研究をしっかりと評価できるのか?という私なりの考えについてはまたこのブログの別の記事に書きたいと思います。