科学業績の真価とは1

今年も年末に近づいてきて、恒例のノーベル賞の授賞式のシーズンとなりました。ノーベル賞を受賞するような研究は人類の発展に大きく貢献したことは間違いありません。近年、受賞者に毎年のように日本人の研究者が名前を連ねていることは誇らしい限りです。

ただ疫学者として一つ残念なことがあります。ノーベル賞には経済学者を対象とした賞があるのに、疫学者を直接に対象とした賞がないのです。医学分野に与えられるノーベル生理学医学賞は通常、基礎生物学研究者や基礎医学研究者に贈られていますので、疫学研究者は対象外のように見受けられます。

疫学は経済学と同様に人間の集団を対象とする学問です。疫学は様々な要因が病気という不幸を生み出すパターンを予測し、病気の予防に役立つことで人類の福祉や幸福に貢献することを目的とする学問です。経済学も人類の福祉や幸福に貢献するという目的を持っています。さらに疫学と経済学はデータ分析のために統計学を用いることも共通しています。それなのに経済学にはノーベル賞があって、疫学にはないのはおかしいのではないかと考えています。

一つの理由としては、ノーベル賞が創設された19世紀後半から20世紀初頭に、疫学という学問分野は一応存在していたものの、統計学を駆使しながら優れた方法論を導き出す近代疫学とは似て非なる、いわば原始的な学問であったことです。近代疫学は比較的新しい学問なのです。(これについては以前の記事でも詳しく述べましたので参考にしてみてください。)当然ながら、ノーベル賞は最先端の疫学も含め、比較的新しい学問を対象にしていないことが分かります。とても残念です。

先日、ハーバード大学公衆衛生学大学院で、疫学の一分野を築いた大家である、Robins 教授の講演とパーティーが行われました。今では誰もが認める疫学の一分野を築いた Robins 教授ですが、研究成果を発表した当時は先進的すぎて誰にも理解されずに苦しんだという話を聞いて、とても勇気づけられました。彼が言うと、「Nobody understood」という言葉も全く嫌味に聞こえません。そのくらい、彼の業績はゆるぎのないものなのです。ノーベル賞が疫学を対象としていたら、彼のような研究者こそ受賞者にふさわしいのにと思います。

私の研究、つまり分子病理疫学の開発と展開についていえば、病理学と疫学の両方を専門分野としている人がほとんど存在しないため、分子病理疫学分野の真の価値を真に理解できる人がほとんどいないと痛感しています。私が見ているものは、病理学と疫学の両方を専門分野としない限り、絶対に見えない風景なのです。そのため、私の論文、グラント申請書などが科学界において正当に評価されていないと感じることが多々あります。こればかりは、病理学と疫学の両方を何年もかけて専門分野にしないと、私の言っている意味が本当にはわからないと思います。Robins 教授もそうした冬の時代をくぐり抜けて、現在のような評価と名声を得たのでしょう。おそらく分子病理疫学も厳寒の冬を過ぎて、ようやく初春というところでしょうか。私も彼のようになれるよう、努力を続けていきたいと思います。

(続く)

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