腸内微生物は世界を変える?
6月末のことになりますが、ボストン日本人研究者交流会の副幹事長の大賀拓史さんに日本企業で腸内微生物をご研究されている松本光晴さんをご紹介いただき、当ラボの博士研究員で、微生物学MPEの研究を主導してくれている有馬浩太さんもお招きし、腸内微生物学研究について意見交換する食事会を行いました。
ご存知のとおり腸内微生物の研究はこ5から10年の間に目覚ましい注目を集めるようになりました。アメリカにおいても、米国国立衛生研究所(NIH)が10数年前にHuman Microbiome Projectという大型の研究資金拠出プロジェクトを始めています。しかしながら、それ以前は限られた専門家が注目している比較的マイナーな分野でした。
以前から述べていますが、私は新たな研究を始める際は、まだ誰も目をつけていないユニークな分野、自分しかできない研究をすることを信条としています。腸内微生物について言えば、まだそれ程多くの人が注目していない時点で分子病理疫学(MPE)との組み合わせが可能であることに着目して微生物学MPEの研究を始めました。多くの人が注目してから類似研究を始めても大きな成果を出すことはできないのです。
現在浩太さんが進めてくれているプロジェクトは、大腸癌の発生に関与すると示唆されている細菌、Fusobacterium(細菌F)と食生活等とライフスタイルに関する研究です(詳しくは微生物学MPEの記事をご覧ください)。
実は細菌Fは歯周病の原因菌の一つと考えられています。口から消化器に入った菌などは酸性度の高い胃酸によってある程度は死滅してしまうでしょう。しかし、胃を通って腸内に侵入する細菌もあると考えられます。それら上部消化管から降りてきた微生物も含め、大腸は人体の中ではずばぬけて大量の微生物を持つ臓器ということになります。そして大腸内の微生物の中には大腸組織の癌化を促進するものもあるという科学的証拠が集まってきています。
話が少しそれますが、歯周病も全身の様々な癌のリスクファクターであるという仮説も有力で、その仮説が本当であれば、歯磨きに癌の予防効果があるかもしれません。それもあって私は歯磨き、デンタルフロス、ウォーターピック(水流で歯間を掃除する機械)を必ず毎食後に行っています。癌だけでなく、歯は全身の健康に重要です。日本の口腔ケアが歯間を重視しないことを心配しています。アメリカでは歯の治療費が高額であることもあって、アメリカ人は日本人よりも口腔ケアをしっかりします。
話を腸内微生物に戻すと、最近腸内フローラの改善のため、発酵食品やその他の食品が注目されているものの、効果を裏付ける十分なデータが得られているとは限らないようです。それどころか、人間ひとりひとりに特有の細菌組成を持った腸内フローラがどのようにできるのか、まだまだ明らかになっていません。
また、腸内フローラを変化させるのは簡単ではないようです。例えば、いわゆる善玉菌のようなものを一定期間摂取したとしても、腸内フローラに影響はないこともあるということです。何が善玉菌なのか、あるいは悪玉菌なのかもはっきりしません。ある人がAさんにとっては良い人でBさんにとっては悪い人であるのと同じで、一概にどちらか決められるものでもないのです。
むしろ微生物集団の総体を一つの生き物として(いわば一つの社会として)、考えることが大事かもしれません。人間が多細胞で成り立つ1つの個体であるのと類似しています。もっと大きく言えば、私達の細胞と人体に棲む微生物が総体として、人間一人一人の個体を作っているといっても過言ではありません。
アメリカでは近年、健康な人の便を病気の人の腸に移植する治療が始められています。これも移植前に腸内の殺菌を行ってからではないと、他人の腸内フローラへと変化させることが難しいようです。しかし治療後、人によっては病気に劇的な改善効果がみられるなど、いかに腸内フローラが健康に大きく影響しているかがわかります。
このように、この分野にはまだ未知の可能性があり、MPEの手法を使って食生活等のライフスタイルと腸内フローラの関係を分析することも可能でしょう。
松本さんは長年腸内細菌研究をご専門とされていることもあって、腸内細菌についての幅広い知識を伝授いただき楽しい会になりました。