学び直しややり直しが認められる社会に!


今日は学び直しややり直しの重要性について書きたいと思います。

私は医学部卒業後2年で渡米して米国で病理学専門医資格を習得した後、ボストンに来てから大規模なコホート研究に携わることになり、データ解析のための統計学・疫学の重要性を実感しました。統計学が科学や社会全体にとって如何に重要かは過去記事で述べましたのでぜひ見てください。

そこで、研究と病理学診断業務の傍らハーバード大学公衆衛生学大学院(Harvard T.H. Chan School of Public Health、略してHSPH)にパートタイムで通学し、3年かけて疫学修士を習得し、統計学・疫学・生物情報科学に関する深い専門知識を有することができました。

私が感じたのは、社会に出て自分が直面する問題解決のために専門知識の必要性を感じて学び直しをすると、学生時代のある意味漠然とした受け身の学習よりも何倍も効率的に意義深く学べるということです。

私が学んだハーバード公衆衛生大学院のコースのように、米国の大学には社会人がパートタイムで学ぶコースがとても充実していますし、社会人がある程度社会で経験を積んだ後、仕事をしながら大学院でパートタイムで学ぶ、あるいはフルタイムで専門知識を身につけて仕事に復帰するということが普通に行われています。学び直しをきちんと社会が評価し、知識を実際に生かすことが可能なのです。

ハーバード・ビジネス・スクールなどのように、社会人経験のない人は基本的に受け入れないような大学院もあります。

日本はどうでしょう?学び直し以前の話として、日本では未だに専門性が評価の対象になりにくい年功序列終身雇用の昭和の社会システムを引きずっています。

一度入った大学や会社組織に縛られてしまい、転職してもキャリアアップになりにくい状況は今に至って続いています。また、人事異動等は基本的に組織が決定するもので必ずしも本人の専門性や興味・関心とは全く別の分野の仕事をすることにもなります。これでは、途中で仕事をしながら興味を持った分野が現れて大学院で学び直しをしてもせっかく身につけた専門性を最大限に活かしきれないのではないでしょうか。

また、人生の途中で方向転換を行って別の分野に進むことも困難な道です。近年話題になっている博士号取得者の困窮も、レールが固定されていてレールの先にある少ない椅子を取り合うゲームのような社会であり、それに一度社会のレールから外れてしまうとやり直しができないことで起こります。もっと人材を柔軟に活かすことができる社会にしていかなければいけません。

大学もどんどん少なくなる高卒生を取り合うばかりではなく、もっと社会人や外国人を受け入れ、多様性のある学びを実現すべきです。

日本は今後高齢化、人口減少の道を辿ることは明らかにも関わらず、未だに高度成長期のモデルから脱却できていないことが気がかりです。

もっと色々な力を社会に取り入れて行くためにどうしたら現在の硬直状態を変えていけるのか。答えは簡単ではありませんが、みんなの力で変えていけるようにしたいものです。

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