転ばぬ先の杖2
繰り返しますが、世界規模の効果が莫大なのは間違いなく、癌治療よりも癌予防です。
例えば、たばこの消費量をゼロに、あるいは半分にするだけで、癌患者数、癌死亡数ともに世界規模で数千万の単位で減らせます。日本だけでも数十万から数百万の単位で減らせます。癌予防に比べると癌治療は世界規模の癌負荷の軽減に殆ど貢献していません。
癌予防には莫大な経済および幸福への効果があります。数千万人の癌治療あるいは末期癌からくる苦しみをゼロにできるのです。
癌治療はもちろん大事です。私ももし癌になったら癌治療に頼るでしょう。癌治療研究はもちろん必要です。
しかしながら、現在の世間の注目、脚光、投資などが癌治療研究に集まりすぎているので、癌予防研究は進歩が遅れます。結果として、予防できたはずの癌患者が、毎年毎年数百万も世界中で発生するわけです。
起こる前の未然の予防の立役者には、誰も感謝することはありません。また、病院も患者さんに来てもらって収入を得るものですから、治療すればするほど儲かるのもまた事実です。
予防法も確立すれば、病院の検診などで、訪問人数を確保できるようになります。いわゆる予防医学・予防医療です。しかし現状では消化管内視鏡検査などを除いてまだまだ発展途上です。
この予防研究と治療研究への投資の対立構造のジレンマは癌という病気に顕著にあらわれますが、他の病気でもみられる現象です。
何故、癌予防に比べて癌治療は世界規模で見たときの人間集団への効果が低いのでしょうか。
それは、癌というのは、体内で起こる変異の積み重ねの結果として、かなり末期に現れるからだと考えます。成人期に現れた癌においては、たとえ早期癌であっても、その腫瘍が最初に始まってからすでに何十年もたっている場合が多いというのが科学界の現在の見解です。逆に言うとその腫瘍が育つ何十年もの期間、予防の余地があるということになります。その間に予防・発見できないために何十年もかけて成長するうちに治療に対する抵抗力を身につけてしまうために、外科的に完全に取り切れない癌が完治する可能性はかなり低くなるのです。
私の同僚が癌予防について書いたサイエンスの論文が、これらの点について見事に論じています。
http://science.sciencemag.org/content/361/6409/1317/tab-figures-data
では癌予防をもっと普及させるにはどうしたら良いのでしょうか。
まずは、癌予防研究の必要性をもっと研究者に、それと一般の人に理解していただくことです。啓蒙活動が必要です。災害予防の啓蒙活動と似ています。
そして、研究費の配分を癌治療から癌予防に最低でも半々の割合となるようにシフトさせることと、研究成果を社会に広め普及させ実践することの二点が挙げられます。
癌予防研究も最新のオミックス研究、免疫学研究、微生物学研究の手法を駆使して行うことができます。私が専門とする分子病理疫学(MPE)を発展させた、ゲノム分子病理疫学、免疫分子病理疫学、微生物分子病理疫学はその例にあたります。癌のリスクファクターの発見とその機序の解明は癌予防を進めるための基本です。それに加えて、早期発見のための研究では、分子診断の手法を健常人に応用して、より早期の前癌状態で発見することも可能になるでしょう。もっとそういった予防研究が必要なのです。
研究費については、大局的な視点で長期的な効果を考慮にいれて配分して欲しいものです。
また、良い研究成果を社会に普及させるには、食生活の改善、タバコの撲滅などの継続的な実践が必要ですが、政策レベルでの対応の他に、病院・診療所などの医療のモデルを治療医学重視から予防医学重視にシフトして患者・健常人に対する継続した指導を行うことで癌治療偏重かつ癌予防軽視の現状の問題解決の糸口が見えてくるかもしれません。