統計学は科学・経済・社会を統べる!

今日はハーバード大学関連のブリガム・アンド・ウィメンズ病院で、病理科レジデント(研修医)向けに講義しました。この講義は毎年行われる教育シリーズの一環で、私の担当はずっと統計学の講義です。病理科には他に統計学を教えられる人が少ないです。

病理学に限らず、あらゆる科学研究に統計学は重要で欠くべからざる学問分野です。これは自然科学は言うにおよばず、社会学、政治学、経済学など全ての学問分野について言えます。

最近ビッグデータというのが脚光を浴びていますが、データの解釈には統計学が必須です。身近なところでは野球、テニス、サッカー、バスケットボールなどのスポーツでもデータ解析に統計学を使っています。

あらゆる学問研究において、観察された事象から真理を推測するには統計解析が必要です。ほぼ全ての研究において、観察された事象を元に真理・法則・定理を推測し、その推測した真理・法則・定理を将来の事象の予測に使います。こうした枠組みにあてはまらない研究が実際あるでしょうか。

どんな分野であれ、研究者や世の中の研究結果を使って政策を改善する人材(政治家を含む)になるには、まずこうした研究についての哲学・パラダイムについて学習することが、必要だと思いませんか?

統計手法が間違っていれば、その研究から得られた結論の科学的意義は無あるいは負になり得ます。

それとともに、事象を観察する以前の研究デザインの質も大変重要です。研究デザインの重要性は統計解析の重要性に並ぶものなのですが、実は軽視されがちです。

疫学と統計学を学ぶ、すなわち研究デザインと統計解析を学んで実践し専門家になるということは、あらゆる科学研究の手法について精通すること、といっても過言ではありません。

そういう理由もあって、私は「科学の科学(Science of Science)」を自分の専門分野の一つとしています。

私が様々な学術団体の委員会に呼ばれるのも、こうした科学研究についての深くてしかも幅広い理解が求められているのでしょう。今年はノーベル賞委員会から2019年度ノーベル生理学・医学賞の候補者ノミネートの依頼もありました。

疫学というのは単に「健康的な食事、健康的な生活習慣で癌が減る、死亡率が減る」という結果のみを学習する学問ではありません。この点は、一般の人や他分野の研究者にたいへん誤解されています。医学の(ある病気の)専門書ですら、非疫学者によって書かれた「疫学」の章があり、そこにはその病気の頻度やリスクファクターの羅列が書かれていることは珍しくありません。こうした事実の列挙は疫学という学問の本質ではなく(デモグラフィックスとでもいうべきもので)、最先端の研究手法を研究開発している疫学とは似て非なるものです。疫学においてのみこのような誤解を生む理不尽(つまり非疫学者が勝手に「疫学」の章を書くこと)がまかり通り、何の咎めもありません。

病理学を考えると、非病理学者が「病理学」の章を通常は書かないというのは暗黙の了解なのです。同様に非物理学者の私は「物理学」の章など怖くて書ける訳もありません。

疫学や統計学を学んだ方ならよく分かると思いますが、それぞれの研究デザイン・研究セッティングに適した統計解析方法を適用する必要があり、それには数学的な背景を含めた統計手法の理解が求められます。また、人の集団だけでなくモデル動物や培養細胞を用いる実験で得られたデータでも統計解析をする必要があります。

このように、統計学は非常に重要であるにも拘らず、科学者の殆どが統計学の正しい専門的トレーニングを十分受けておらず、意図的でないにせよ、あるにせよ、かなりの割合で不適切な研究デザインと不適切な統計手法による解析結果を元に結論を導き出しているのが現状です。つまり、得られた結果の科学的信頼性がない論文が多いのです。そのような科学的な根拠が薄い論文が溢れかえっているのが現状です。更に誇大に強調された論文の結論と、それを鵜呑みにするメディアが輪をかけます。

科学には多額の税金や社会資産が投入されています。そのような不適切な研究結果と結論を根拠として、世界中で次々と更なる研究に資金が無駄に投入され、研究が行われているとしたらどうでしょうか?

実際そのために、無駄な研究に時間を使ったり、競争的資金が取れず一生を棒にふる若い研究者もたくさんいることでしょう。捏造論文はもちろんですが、それに加えて信頼性のない研究論文は、他の多くの研究者の人生や学術界、いやもっと広く社会一般にまで負の影響を及ぼします。その罪は非常に重いと言わざるを得ません。

2-3年前にはハーバード大学メディカルスクールの当時の学部長が論文の結論の信頼性を昇進への基準に入れるべきだとネーチャーに発表していましたが、その通りだと思います。

研究デザインの習得(疫学を含めて)や統計学の重要性が、科学界で正当に認知されていないことが憂慮されます。

私が自分の研究室員に口を酸っぱくして言っているのは、高潔さ(integrityあるいは、公明正大にきちんとすること)です。

幸い、私の専門とする免疫分子病理疫学では誰も同じような研究をしておらず、想定した仮説と異なる結果が出たとしても、問題なく成果として発表できます。

しかしもし他の研究室と競争をしていた場合はどうでしょうか?その結果が次の研究費の獲得に影響するとしたら?

統計の問題によるものだけではありませんが、昨今日本でも研究不正が問題になっているようです。この傾向は米国も同様です。行き過ぎた競争と論文数やインパクトファクターのみでの科学への表面的な評価を続ける限り、実直に科学研究をする人が不利益を被り、意味のない、或いは虚偽の論文が大量生産される傾向は続いていくでしょう。

若い将来ある研修生・研究員の方たちが私の講義の後、疫学や統計学をきちんと学んで、信頼性の高い研究を発表してくれると嬉しいのです!

次回に続く)

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